海のクローバー

読書感想文や、咲-Saki-を中心に「ものを読んで思うこと」少しずつ綴りたいと思います。

【読書感想文】満願 / 米澤穂信

今回は、今私が最も敬愛する作家

米澤穂信さんの『満願』の感想です。

 

個人的には古典部シリーズが大好きですが、

このミステリーがすごい!」を受賞した

米澤穂信作品の最高傑作だと思っています。

 

短編集なので読みやすく、米澤作品の味を感じてられる作品だと思います。

この作品の魅力を挙げるならば・・・

 

①読み終えた時の「苦さ」

後味がすっきりではないものが多いので苦手な方もいるかもですが、この苦みが米澤作品の大きな魅力です。

 

②謎解きではないミステリー

謎解きとしては難易度も高くなく、物語として読める作品です。むしろ謎解き要素が少なく、どれもある1点に気づきいた時、「わかちゃった感」のでる構図です。推理ばかりではないミステリーというものを感じられる秀作です。

 

③テーマは「強い願い」。ただし主人公ではない。

誰かの強い願いが叶う=満願、をテーマに据えてた短編でしょう。6つの短編はそれぞれ主人公が違いますが、その「願いの成就」は主人公のものとは限りません。むしろ敵うものはすべて主人公の願いではありません。主人公の願いは叶わず、そことは別のところではたらく他社の意思・願いが叶う光景をみる、だからこそ主人公視点で見ることになる読者には「苦み」が漂います。

 

個人的には「万灯」・「満願」の2つがイチオシです。

初めて読んだ時は、満願のラスト、真意が分かった時はちょっと震えました。

全話バッドエンドです。

以下、簡単なあらすじから(核心のネタバレはありません)。

 

【1】夜警

主人公は交番長。DV夫が家で暴れているという通報を受けて現場へ急行した際に、指導に当たっていた新米警察官が犯人に刺され殉職した。彼はなぜ死ぬことになってしまったのか、その裏に隠れていた真相とは?

警察ものですが、捜査して犯人をみつける話ではありません。主人公が、新米警察官の一連の行動を振り返る中で真相に思い当たるお話です。

 

【2】死人宿

2年前に突然失踪した元恋人が温泉宿で女将をしていると聞き駆けつける主人公。そこは自殺志願者が最期を求めて訪れることで有名な温泉宿だった。温泉内で発見された遺書から、主人公と女将は宿泊客の誰が自殺を推理する。

 

【3】柘榴

誰もがうらやむ美女と定職につかずろくに家に戻らない夫が離婚をすることになり、中学生の娘二人の親権がどちらのものになるかの協議(裁判)がされる。娘たちの選択と協議の行方は?とても短いお話です。

 

【4】万灯

主人公はバングラディッシュに派遣され、天然ガス採掘のルート確保に奮闘する商社マン。ガス採掘候補地と都心部を結ぶ要所に拠点を設置するため、村の有力者と交渉にあたるが、交渉は難航。設置に賛成する別の有力者が提示した条件は、反対派の有力者を殺害するというものだった。

推理要素はほぼないものの、現地の情勢が緻密に取材されて情景が浮かびます。イチオシです!

 

【5】関守

主人公は都市伝説系の雑誌掲載の取材のため、死者が多発している峠へ向かうライター。峠の近くにあるドライブインの老婆から、それぞれの事故で死亡した人たち話を聞く中で、その事故の真相が明らかになる。「世にも奇妙な物語」的なお話です。

 

【6】満願

主人公は弁護士。学生時代の下宿先の奥様を弁護するも、有罪が確定。夫の作った借金の取り立てに来た男を殺害したことは本人も犯行を認めていたが、正当防衛を争点に量刑を軽くする戦いは続けられる見込みはあったのに、彼女は控訴をしなかった。刑期を終えた彼女が出所する日、事件・裁判を振り返り、主人公は思いもしない彼女の真意に気が付くのであった。

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全体を通して

上記で書いたように、本作は米澤作品らしい「苦み」を感じる作品たちでした。その苦みをもたらすのは、主人公ではない他者の「願い」とその成就による部分が大きいように思います。“あまたの意思が織りなす綾、これを世界という”のだと強く感じました。

 

そして、謎解きというほどではないミステリー。ちょっとしたことに気づきさえすれば真相にはたどり着けますし、その伏線も不自然でなく、かつそこそこわかりやすい。特筆したいのは、その伏線が主人公の解釈に上手く紛れ込ませている(もちろんアンフェアでない範囲で)ところでしょうか。独白や回想に虚偽があってはならないのがミステリーの鉄則ですし、本作だけが使う特別な仕掛けとは言いませんが、それがきれいだなと感じます。

 

さらに言えば、ミステリーとは探偵が事件の真相を突き止めるものだけではないということです。米澤作品は所謂「日常の謎」にカテゴライズされるものが多く、本作もその一つと言えるでしょう。米澤作品、氷菓シリーズ「愚者のエンドロール」中にこんな言葉があります。

「登場人物にはわかりきったことでも、観客が謎に悩みさえすればそれでいいとは思いませんか?」

トリックがいかに簡単でも、伏線がふと気付けるようなことでも、読み手がその謎に惑わされるストーリーならば、それはミステリーなのだと思います。ですから、本作の中で主人公と一緒に探偵的に推理しながら読む雰囲気の話は2つほど。ただ、他の4話も疑問を推論しつつ読める物語です(だからこそミステリーの分類なのだけれど)。

 

また、どれも現実味のある話でした。別段ニュースとして取り上げられてはいないが、これはノンフィクションですと言われても、そうかなと思える話です。交番勤務の警察官の動きにしろ、バングラデシュの様子などよく取材されているなと。

 

以下、ネタバレありで感想を。未読の方はご配慮下さい。

 それぞれの「願い」を軸に思うことをつらつらと。

 

【1】夜警

「こんなはずじゃなかった。上手くいったのに。」

 

殉職という少々重い題材ですが、英雄譚などではありません。若い警察官の失敗談といった方が正解でしょう。それ故、苦みのある話になっています。

 

*主人公の願い=不向きな警官の、経験不足等による行き過ぎた対処が招いてしまった不慮の事故であってほしい

* 殉職した警官の願い=誤って発砲し紛失した拳銃の弾の不足を隠蔽したい

この前提で話を進めます。

 

結論から言えば、新米警官が一人で交番の留守を預かっている間に興味本位で拳銃を触っている際に発砲してしまい、あろうことか道路工事作業員のヘルメットをかすめてしまう。弾はなんとか発見するが、銃弾が1つ不足したまま拳銃を返却すれば大変なことになると恐れ、拳銃を発砲する正当な理由をつくることを画策。要注意人物リストにあるDV夫を煽り事件化させ、やむを得ず発砲する際に拾っておいた弾をその場に紛れ込ませる算段であった。

 

主人公は日ごろからこの新米警官を警察に不向きと考えていて、事件当時は自分の指導不足などを悔いながらも不慮の事故と捉えていたかったはず。もっとも、新米警官の兄と話をするまでは、そう願うというよりは、そう割り切るしかないということだが。

 

一方、新米警官はどうしても自分のミスをうまく処理したかった。強い願いを持って、策を練り発砲することもある程度仕方ない状況を作り、事実、全弾その場で発砲したことにするのには成功した。そういった誤魔化しはいけないと天罰が下ったのか、DV夫と刺し違える形にはなるものの、その願いとしては満願叶ったわけである。

 

本作のリードとして、わかりやすく、かつ苦さが出る物語でした。主人公には願いというほどでもない願いですが、新米警官の願いの成就は反面教師的、教訓的な捉えになりそうです。

 

ちょっと余談。警邏に使う自転車についている書類を入れる箱の鍵をかけ忘れた際、一人で警邏に行くという口実をつけ鍵を閉めようとしたことが小細工をする小心者として描かれますが、この手のごまかし方は多くの人が事の大小は別にしてやっていることなのでは?すべての事項を上司に報告せずに問題ない程度に自分で処理をするのは悪いことじゃないよなぁと。もちろん警察が書類を紛失すれば大問題ですから、アウトな事例かもしれませんが。

 

 

【2】死人宿

「あなたは、自分が変わったと言った。でもそれは間違いだったみたいね。」

 

職場での上司のパワハラに耐えかねた元恋人が失踪。相談は受けていたのに、よくあることと取り合わなかったことを悔いている主人公の前に、彼女は1つのチャンスを提示する。名前のない遺書は誰のものか一緒に検討してほしいと。あの時助けられなかった後悔もあり真剣に考える主人公。主人公視点ではここから謎解きタイムで、3人の宿泊客の誰が死のうとしているかを読者も一緒に考える構図になるが、主人公の導き出した答えは「狂言」。彼女が「あなたが変わったといったのは間違い」「結局常識でしか考えていない」と言い捨てたところで、彼女の遺書の可能性もと考える…。

 

多くの読者は謎解き開始の時点で彼女も候補に考えていたでしょうが、この、主人公が一度出した結論を間違え、その誤りに気付き再構築する(あるいは結末で真実を見せつけられ悲嘆にくれる)構図というのは私はとても好きです。まぁ今回は次に出す結論もある種誤りなので、この構図の上塗りという点でも好きな作品です。米澤作品では氷菓シリーズ「愚者のエンドロール」がこれにあたり、とても好きです。

 

また、かつての恋人を連れ戻したい心境を利用し、もう少し女将の遺書の可能性を含ませることもできたでしょうに、彼女にも願う何かがあったでしょうに、あえてそこは触れすぎないあたりが、物語の進行上はよかったのだと思います。きっと自分が書けばもう少しそこを膨らませてしまいそうです。

 

*主人公の願い=(彼女への名誉挽回のためにも)自殺志願者の自殺を止めたい

*自殺した紫の髪の女の願い=この日に自殺する

 

結果的に主人公は推理によって3人の宿泊客の中から遺書を書いたのは若い男性と突き止め、彼の自殺を止めることに成功する。これで終われば、彼女の信頼も少しは回復し、まずまず良い形で締めくくれたが、実はあの遺書とは別に自殺志願者がいたことで、なんともやりきれない感情で読了させられる話である。解決したと思った矢先主人公には相当な苦みが残ったことでしょう。

 

紫の髪の女は、主人公の願いとは関係なく、自身の死ぬという願いを成就させる。この女性が、若い男が自殺を思い留まったことやその阻止のための動きがあったことなど知る由もないが、読み手には、主人公らの推理で止めることもできなくはなかったのに、満願叶って死ぬことができたと映る。ただ、もう少し深読みすれば、最後のセリフ(これでまた死人宿が儲かる)からするに、この宿自体の願いが叶ったと言えるかなとは思います。

 

 

【3】柘榴

けれどもいまは、それほどでもない。

 

母と長女それぞれの視点で話が進むので、主人公はどっちといえば…。

 誰もがうらやむ美人のさおりはライバルたちを蹴落としある美男子と結婚。彼女にとって彼は人生の「トロフィー」だった。しかしこの男が実にダメ男で、定職にも就かず家にもろくに帰ってこず、離婚を決意。経済面でも生活面でも親権は母(さゆり)になるのはずだったが、娘たちは自分たちに傷をつけ虐待を偽装してまでも父を選ぶ。

 

*母・さゆりの願い=娘たちの親権がほしい(そうなって当然)

*娘・夕子の願い=父の隣にいる美人を排除する=自分だけにする

 

結果的に虐待を偽装して親権を父親に確定させることに成功させる。健気に父を思う優しい娘だなとも思いましたが、ラストはちょっとぞっとしましたね。ただこの傷は虐待の証だけでなく、父のもとに一緒にいることになる妹を傷物にすることまでも考えてのことと。まさか夕子にとっても彼はトロフィーだったとは。恐ろしい結末ではありますが、夕子にとっては満願叶ったわけです。

 

母・さゆりにしてみれば、ダメ夫に親権を取られ可哀そうではあるが、それ以上に、人の狂気が見えるサスペンスな話でした。私は柘榴の話を知らなかったので、所見でラストまでは読み切れませんでした。着物を買ってもらうことが女性としてマセてきたことが伏線ではという感想も拝見しましたが、ちょっと深読みしすぎな気もします。欲を言えば、もう少し夕子が母を嫉妬するような描写があってよかったのではと思います。読み切れなかった言い訳がましいですね。

 

 

【4】満灯

これから起きることは、決して止まらぬ神の歩みの一部に過ぎない。

 

エネルギー関連の商社に勤め、親の死に目にも会えぬ覚悟で仕事一筋に生きてきた主人公はバングラディッシュに派遣されるも、拠点を置く地域の住民らの反発にあい、天然ガス採掘計画が上手く進まない。これまでは賄賂など何をしてでも事を運んできたが、今回は反対する村の有力者(マタボール)の一人を殺害しなければならず、殺害を共にした別のエネルギー会社の日本人が逃げたために彼も殺しに行く。そして天罰が下り、コレラによって死亡する。

 

*主人公の願い=日本のためにエネルギー資源供給ルートの確保に貢献する・この村を拠点にする策を成功させる

*アラムの願い=天然ガスバングラディッシュの未来の子供たちのために使いたい(他国に開発させはしない)

*アラム以外のマタボーグの願い=自分たちの子供や村のみんなの目の前の危機を克服したい(村を豊かにしたい)

 

何かを成し遂げることに必死になるあまり、大切な何かを忘れてしまう、一線を越えてしまうことで本来の目的に達しない類の話。主人公は実に意欲的に働き、使命感を持って歩んできた部分は素直に賞賛すべきでしょうが、いくら日本にエネルギー資源をもたらすという崇高な目的のためとはいえ、殺人は許されません。

 

ただ、この話が非常に取材されて構成してあること以上に、当地でのエネルギー開発の上ではそんなこともあるのではと思えてしまう、現実性を感じるにつけ、断じきれないかなという部分もあります。もちろん殺人はいけませんが、必要悪という言葉がちらつきます。そして、この「踏み越えてはならない一線を認識できるかどうかが重要」というのが1話の「夜警」に通じるところでよかったかと。

 

この話の中では多くの願いがぶつかります。崇高な使命感の下、要所たるこの村に拠点を置きたい主人公、その先にある資源を他国に渡したくないアラム、病気の子供さえ救えない貧しい村の現状を変えたい他のマタボールたち。どの願いも優劣つけられるものではなく、尊いものです。

 

描かれた範囲では、この3つの願いはどれも成就したとは言いにくいです。その後この計画が前進したとも頓挫したともわかりません。ただ、村との交渉の経緯・成果は伊丹と森下の2名しか知らないはずであり、計画の要人を失った2社がその後を上手く進められたとは考えにくく、アラムの願いが成就したというのが筋ではないかと。

 

蘇民将来の件が、ケミカルライトのこと以上に主人公を死へと追いやる疫病ということでした。そして、アラムを殺す行為を資源という神の行いを自分が代理するだけだと言い聞かせます。神の意志・願いなんて言い出すときりがないのは重々承知していますが、資源の神の願うところにより主人公は裁かれ亡くなったといったとろこでしょう。

 

本作の表紙は、主人公が死の間際に見た、自分が貢献するんだという大きな使命感を抱いた無数の灯り=満灯という解釈でよいかと思います。

 

 

【5】関守

「あたしはねえ、しょせん関守です。」

 

都市伝説記事の取材のために訪れた田舎町の峠にあるドライブインでおばあさんの口から語られる4件の事故の真相。ある種ホラーですね。「世にも奇妙な物語」的なお話で、純粋に怖かった。本当に田舎のドライブインや茶店にいそうな話好きな穏やかなおばあさんを思い浮かべながら読むと、最後の数行は本当に怖い。

 

*主人公の願い=都市伝説記事を書くために情報を得る

*おばあさんの願い=娘の殺人を明るみにしかねない者は消す

 

最終的には、4件の事故はすべておばさん(1件目はご主人・娘さんも)による偽装事故で、1件目の殺しを隠すために、凶器となった石仏を触ったり調べたりする者を殺していたということで、ここに5件目が生まれる。満願叶うことになります。娘や孫を守りたいという強い意志を感じます。主人公のほうは記事を書けずに死ぬことになるので願いが叶うも何もありませんが。

 

本作の中では数少ないちゃんとした推理物でしょうか。4年で4件の事故が起き、ご主人がいたのが4年前までというあたりで見当をつけた方も多いとは思いますが、それが1つずつはまっていくラストのあたりは気持ちいいものがありました。いや、でも恐ろしいという感情の方が大きいけど。

 

「関守」というワード。もちろん今も関所の守り人のように峠にいる人という意味でもありますが、娘の殺人を掘り起こそうとする輩を見張る者、その凶器が石仏であり、道祖神を守る者としての意味も含んでいるのかなと思います。その意味では、おばあさんは生死はともかくとして、ある種あちら(神や仏)側の存在であり、オカルト系の雑誌で取り上げるネタであったのかもしれません。ホンモノとはそういうことかも。

 

 

【6】満願

「何か目隠しになるものは。」

 

短編集の表題にもなったお話。個人的にはこれが群を抜いて秀逸だったと感じます。なんとなく逆転裁判のイメージが重なるのは私だけでしょうか?


*主人公の願い=奥さんの量刑を軽くしたい
*奥さんの願い=家宝の掛け軸を守りたい

主人公は苦しい学生時代を支えてくれた下宿先の優しい奥さんの犯した殺人事件の担当弁護士として、当時の恩義を返すためにもとなんとか量刑を軽くできないか、正当防衛を証明できないかと苦闘する。しかし奥さんは自分の心配よりも、ダメ夫の容態やダメ夫が作った借金の返済、そして家宝の掛け軸を案じる。

他の5作よりも圧倒的に強い執念というか願いの強さを感じました。初見では、動機や結末の意外性というよりも、家宝のためにそこまでできるのか、という驚きが大きかったように記憶しています。

金融業者が関係を迫ってくることは想定できたとしても、借金返済のために家が抵当に入り、家財が差し押さえられ競売に掛けられることを想定できても、それを守るために「殺人事件の証拠品にすれば差し押さえを免れる」と考え至るものなのだろうか?

普通の人は証拠品の保存期間やそのルールを知らないでしょうから、難しいかなとは思いましたが、そこはまぁ別にして。ただ、金融業者の来訪が分かった際に

「この掛け軸だけはなんとか守りたいが、どうしたらいいか」

事件の証拠品にすれば警察が保管する

殺人事件を起こそう

 という論理構成ができることにとても驚く。知人に預けるなどの選択肢ではなく、最も信頼できる保管場所として警察を選ぶという発想。じきに病死する夫の保険金が入るまで凌げれば十分という思考もあったのだろうか。学生時代の主人公視点でみる奥さんはとても不憫で、とても優しく、家宝のために人を殺す悪人にはとうてい見えないように描かれているからなおさらである。加えて、たんに財産としての家宝ではなく、下級藩士たちに教育を施した先祖の誇りとしての家宝であることが言及されているからこそ、家宝のための殺人を断じきれない感がある。

 

そしてキーとなる「だるま」。お金を借りたい際に、だるまに背を向かせたエピソードはおそらく主人公しか知らないため、他者ではこの真相にたどり着けないのだろう。この伏線はわりとわかりやすく書かれていたが、合格祈願で達磨市に連れて行ってくれた話がキーとしての「だるま」を強く浮きだたせてとてもいいなと感じる。

 

 

 

雑感

もう長々と書いたのでこれ以上は。

ただ、冒頭でも触れたように、本作はすべては「強い願いの成就」を様々な角度から描いた短編集で、願いを叶えた者も叶えられなかった者も、大事な何かを捨ててまで守ろうとしたのである。その方法が良いか悪いかは別にして。その大事なもののために動くとき、人は強いのだなと。そこには現実的な人間臭さと、その決断に至る動機=「なぜ」を読み解くミステリーだったと感じます。

推理で犯人を突き止める爽快感はなく、たどり着く結末のやるせなさ、真実に行き着いてもどうにもなら苦々しさ、悪事をきっちり悪と言い切れないモヤモヤ感。そういった苦さがありつつ、文体もきれいで、論理構成もすっきりとした本作は、米澤穂信さんの代表作と呼ぶに相応しい、とてもすばらな作品だと思います。

 

満願

満願